猫のように没頭すること
- 2005/05/08 20:07
- Category: soliloquy

5月1日、元・東京グランギニョル~テクノクラートで活躍していた浜里堅太郎君が
日曜マスターを勤める西新宿の店へ遊びに行った。
数年ぶりに飴屋法水氏、棚橋ナッツ君、浜里君にお会いし、話をする。
石川成俊君と久しぶりにお会いした時と同様で、なんだかやっぱり懐かしかった。
私が初めて観た東京グランギニョルの芝居『ライチ・光クラブ』で主人公を演じていた
役者先輩・常川博行氏からも経験談を伺うことができ、大収穫な一夜。
客の半数以上が帰った頃、持参したリュックから飴屋氏がおもむろにCD等を取り出し、
店の卓でDJプレイを始めた。
彼は東京グランギニョル結成以前、唐十郎氏の率いる「状況劇場」で音効を担当しており、
その神業的な仕事が今でも語り継がれるほどの凄腕スタッフだったそう。
私は飴屋氏の演出や音響仕事を鑑賞したことはあるけれど、
次から次へと音楽をかける姿は初めて目撃する。
これがとても興味深かったので、そのことを書こうと思う。
ミキサーから手を離すことなく次々と音楽を繰り出す飴屋氏は、
まるでお気に入りのオモチャで遊んでいる猫のようだった。
気に入ったものがあると、周りに目もくれず、延々ひとりでそれと戯れる。
飽きるまで遊んでいる。
たとえ飽きたとしても、睡魔に負けて頭が垂れても、
しっかりとフェーダーに指を添えて、リズムをとりながら眠り込んでしまう。
その様子は、
遊び疲れて、自分でも知らぬ間にオモチャを抱えたまま眠ってしまう猫のよう。
そうかと思えば、はたと目を醒まし、また暫く音に没頭したあと、すぐウトウトし始める。
本当にまるで猫だった。
音の庭の中に潜り込んで、くつろぎつつ、注意深く散策している。…
屋根の上で「音ぼっこ」している、と表したくなる場面もあった。
多少疲れても、続けている。
疲れすぎると、ほぅと顔を上げ「にゃぁ..」と呟く。
それでもやめない(笑)。
私も家で飼猫と会話する時には「にゃあにゃあ」言っているけれど、
ひとりで「にゃあ」と言っている人はあまりいないだろう。…
もう39年生きてきたけれど、ここまで猫みたいな人は初めてだ(笑)。
久しぶりに‘人自体’を鑑賞し、感動した。
そのくらい純度の高い「力」のある人なのだろう。
音人間とはこういう人のことを言うのだ、とも思った。
この人から面白い作品が続々と生まれてくるのだなあ、と、感慨深く感じもした。
良い演出家は耳がいいということ、
演出とは8割方‘音感’だということを再確認したような気もする。
本当に楽しい一日だった。